2025年04月24日19時15分 / 提供:PR TIMES
江戸時代の都市プランを探ろう!
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アメリカの新聞ニューヨーク・タイムズに、「2023年に行くべき52か所」の一つとして紹介されて以降、俄に国内外から注目を集めている盛岡。県庁所在地として岩手県の政治・経済・文化の中心として発展してきた一方、山々に囲まれ、町中には川が通る自然豊かな町として、盛岡の内外を問わず多くの人々に親しまれています。この現在の盛岡(特に中心市街地)は、盛岡藩主南部家の居城である盛岡城を中心として、計画的に建設された城下町が起点となっています。そもそも400年以上も昔、戦国時代から江戸時代に移り変わる時期に、盛岡南部家は何を意図してこの城下町を計画したのでしょうか。また江戸時代250年という長きにわたり城下町として維持・発展していくなかで、「マチ」はどのように変化しきたのでしょうか。これは現在にも受け継がれている、盛岡という「マチ(街・町)」の「カタチ(形状・構成)」に込められた意味を探る試みでもあります。本企画展では、現存する盛岡城下図を中心とする、盛岡の歴史を示す各種資料をもとに、盛岡城下町の実態や都市としての特徴を探ります。今でも盛岡の街を歩くと、城下町であった頃の名残を感じさせる建物・道筋・地形・地名など様々な「歴史の痕跡」に出会えますが、それらをより深く知っていただく機会となれば幸いです。
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