2024年01月01日08時00分 / 提供:マイナビニュース
●何度も突き返された企画書
第100回大会を迎える『箱根駅伝(東京箱根間往復大学駅伝競走)』が、今年も日本テレビ系で1月2日・3日(7:00~)に、両日約7時間にわたり生中継される。いまや正月三が日のテレビの定番で、前回の番組平均視聴率(ビデオリサーチ調べ・関東地区)は往路が個人16.7%・世帯27.5%、復路が個人17.9%・世帯29.6%というお化けコンテンツだが、日テレが中継を開始したのは1987年の第63回大会で、今年で38年目の放送だ。
様々な困難を乗り越えて実現したというテレビ中継には、どんな精神が受け継がれているのか。白熱のレースを放送する裏側では、何が起こっているのか。そして100回大会という節目にどのような姿勢で臨むのか。総合プロデューサーの日本テレビ・望月浩平氏に話を聞いた――。
○チョモランマ山頂からの生中継も…チャレンジ精神が財産に
『箱根駅伝』を放送するにあたり、往復200kmを超えるレースを全編生中継するという壮大な番組の企画書は、何度も突き返されたという。お正月という在宅率の高い時期に、2日間にわたる長時間の枠を関東の地方大会に使うことへの懸念に加え、電波環境にとっても難所である箱根の山を含む各所から事故なく映像を届けるための技術的なハードルが高かったのだ。
それでも初代プロデューサーの坂田信久氏や、総合演出の田中晃氏らの熱意が会社を動かし、技術的な課題もクリアして、1987年に一部中断がありながらも全編生中継を実施。世帯視聴率は往路18.0%/18.7%、復路14.1%/21.2%(ビデオリサーチ調べ・関東地区)をマークし、3年目には完全生中継を実現させた。
望月氏は「当時の日本テレビは、88年にチョモランマの山頂から世界初の生中継をしていますし、本当にチャレンジ精神がある局だったんだと思います。これは本当に財産です」と、立ち上げた先人たちに感謝する。
○選手の名前は全員呼ぶ、たすきリレーは全部伝える
そこから40年近くにわたり、『箱根駅伝』テレビ中継の歴史を積み重ねてきたが、最も意識しているのは、「箱根駅伝をテレビが変えてはいけない」ということ。
「先輩方から、“テレビが大事な学生スポーツを変えてはいけない”と本当によく言われました。正月の2日・3日に国道1号で200km以上ロードレースをやるなんて、今の時代に始めようとしてもできない。100年続いてきたからこそ大事に受け継がれていると思うんです。だからこそ、選手の皆さんが主役なので、選手の名前は全員呼ぶ、たすきリレーは全部伝えるといった精神が、変わらずあります。よく“今年新しく変わることはありますか?”と聞かれるのですが、技術が進歩して画面上の見た目やディテールが変わっても、そうした根っこの部分は変えてはいけないと思っています」
それを裏付ける資料として望月氏が見せてくれたのは、「第63回東京箱根間往復大学駅伝競走 駅伝放送手形」という116ページにも及ぶ分厚い冊子。毎年全スタッフに配布される中継マニュアルで、日テレが初めて手がけたテレビ中継の際の貴重なものだ。基本的なカメラの配置も現在とあまり変わらないそうで、「トップ選手だけでなく下位の選手もしっかり映すというのが書かれているんです」と、今に続く精神が盛り込まれている。
もう1つ、大切に保管されていたのは、放送の進行予定が秒単位で記された第63回大会中継の「Qシート」。手書きで作成されているが、「実はいまだに手書きなんです。パソコンで作るとどこが大事なポイントなのか分からないのですが、手書きだと筆圧でそれが伝わるので」と、こちらも最初の中継から引き継がれている。
●走れなくなったランナーをどう伝えるか「毎回悩みますし、正解もない」
長丁場の中継で意識するのは、“メリハリ”。「2日間で14時間の生中継をずっとご覧になっている方もいますから、アナウンサーは常に一本調子にならず、抑えるところは抑えて、上げるところは上げてと抑揚をつけた実況になっています。画もアップのショットばかり撮らず、時には全体の広い画や、きれいな景色を見せるということもしています」と明かす。
さらに、「レースが動く部分はしっかり伝えるというのを考えて、CMを入れるタイミングを計算しています。抜く瞬間は近づいて脚が絡んで転倒するかもしれないから、必ず全身で見せる。そんなことはほとんど起こらないのですが、口酸っぱく言っています」と共有しているそうだ。
時には、脱水症状や肉離れなどで歩くことになってしまうランナーも。レースの上位争いを伝えなければならない中で、再び走り出せるのか、途中棄権することになるのか…と多くの視聴者が固唾をのんで注目するシーンだが、「どの程度、どのように撮るべきかというのは、毎回悩みますし、正解もないです」と、制作側として非常に難しい判断が求められる。
近年は、そうした選手をことさら取り上げることで“見世物”にしているという批判も予想されるだけに、「アナウンサーはなるべくセンセーショナルではなく、落ち着いて伝える。我々も深追いすることなく、逃すことなく、逐一お伝えするという姿勢です。たすきが途切れる瞬間は、そのチームにとってレースが終わる瞬間ですので、中継するほうも本当につらいです。繰り上げスタートも同様で、最低限伝えるということを意識しています」と語った。
○脳裏に焼き付く“山の神”の接近「行かせます!」
最初はディレクターとして、2006年から『箱根駅伝』の中継に携わる望月氏。まず担当したのは、箱根の山を走る選手たちを俯瞰(ふかん)で撮ることができる「駒ヶ岳」のポイントだ。山の上の美しい景色から疾走する選手たちにズームインするカットを狙っていたが、「その日は雪で雲がかかって全くコースが見えてなくて(笑)」と断念。それでも、「雪の景色は逆においしいと思って、観光で来ている方が作った雪だるまを撮ったりしたんです。きれいな映像を挟んで彩りを添えることで、“箱根駅伝らしさ”にもなるんだと思いました」と実感した。
ちなみに駒ヶ岳は、移動中継車からの電波を拾う地点にもなっていて、技術スタッフが中継車の走る方向に手持ちのアンテナを向けるという職人技の作業を行っていたが、箱根山噴火などの影響で、現在は別の地点に移されている。
その後も中継に携わる中で、特に印象に残る選手は、“山の神”柏原竜二(東洋大学)だ。「小田原中継所でたすきが渡っても、前の中継車から“まだ来ませんよね”と構えていると、奥の方から柏原さんの姿がどんどん大きくなってくる光景を今でも覚えています。2号車のときは、その姿が大きくなったと思ったら、すぐ追い抜かれてあっという間でした」と振り返る。
このように選手が中継車を追い越すために避けるタイミングは、ディレクターが決める。基本的に、中継車がセンターラインに寄って走路を確保するのだが、カーブで道幅が広がる箇所や、歩道側にスペースができるポイントを狙って運転手に指示し、インカム(スタッフ間の音声連絡)では「行かせます!」と前の1号車に伝えて、すぐに追いかける選手の姿を捉えられるようにするのだ。
インカムは、十数人が同時につけているため、複数のディレクターが同時にしゃべりだす瞬間も多々あるそうで、「そこは流れを見て“柏原、見えてきたよ!”、“もう抜くよ!”と伝えなければいけません。その上、CMを入れるタイミングもありますので」と、ディレクターの腕が試される場面になっている。
●100回記念も「奇をてらったことをやるのも違う」
第100回大会を記念して、様々な盛り上げ展開を実施している。12月12日にはかつての選手や監督・家族・旅館の女将まで取材して秘話を紹介する名物コーナーを書籍化した『箱根駅伝「今昔物語」100年をつなぐ言葉のたすき』を刊行。同30日には伝説のシーンをドキュメンタリーや証言、再現ドラマで描く初のゴールデン特番『箱根駅伝 伝説のシーン表と裏 3時間SP』を放送した。
さらに、9月には番組公式ページで87年以降の本戦ダイジェストなど400本を超えるアーカイブ動画を公開。「100回大会に向けて2年がかりで準備しました。編集は大変でしたが、中継と一緒でたすきリレーは全部見せると決めたんです。これまで中継した全大会分なので、我々が見ると勉強にもなります」といい、今後の大会のダイジェストも公開してアーカイブ化する計画だ。
全国の大学に門戸が開かれた予選会は、初めて地上波で全国ネット中継。「予選会を初めて見る視聴者も多かったと思うので、ルールを丁寧に説明したり、なるべくたくさんの大学を映して、名前を呼ぶというのは、本大会と同じポリシーで臨みました」といい、その結果、「数字が全てはないですが、関東以外の地区の視聴率もとても良かったです。予選会から全国放送ができたことで、100回大会へ大きな弾みになったと思います」と手応えを語った。
また、本戦当日の放送センターは、「ゲストの方の人数が増えて、豪華になります。『今昔物語』も100回大会を意識したものになります」と特別仕様を予告するが、大前提として「箱根駅伝をテレビが変えてはいけない」という姿勢は堅持する。
「100回目といっても、走る選手にとっては大事な1回ですので、あまりこちらが目新しいことや奇をてらったことをやるのも違うのではないかと思います。“良い放送だったね”と言われるよりも“良いレースだったね”と言われることが、我々にとっても一番の喜びですので」
今年は、コロナによる制限のない大会として4年ぶりの開催となるため、「もちろん全選手に頑張ってほしいですが、最終学年の4年生にとっては、最初で最後のコロナの規制がない箱根になるので、特に頑張ってほしい気持ちがあります」という思いも。主催者である関東学連のスタッフも、現在の学生たちはコロナ禍での大会運営しか経験していないため、より多くの沿道観戦が予想される中での準備が大変だそうで、「本当に一緒に頑張らせていただきたいというのが、僕らの思いです」と話した。
○東京農大の大根の収穫を取材できる理由
毎年1月2日・3日に行われる『箱根駅伝』だが、ディレクターやアナウンサーたちは1人1~2校を担当し、予選会を含む全ての出場大学を、年間を通して取材。大会翌日の1月4日から新チームが始動する大学に足を運び、その後も、入学前から練習に参加する新入部員を確認するなどし、3月には『箱根駅伝』に向けた取材方針を決める。
春には入寮、新人戦、関東インカレ。夏には合宿、日本インカレ。そして秋になると駅伝シーズンに突入し、10月の『箱根駅伝』予選会を経て、正月の本番へ。このように、各大学の駅伝部・陸上競技部におけるイベントを追いかけながら、普段からチームに寄り添って取材を重ねているからこそ、本戦の中継で選手たちの裏側のドラマを伝えることができる。
今回の予選会の中継番組では、10年ぶりの本戦出場を決めた東京農業大学の応援団が名物の大根踊りで使用する、大根の収穫作業の様子を伝えていたが、こうしたニッチなトピックを紹介することができるのも、足繁く通う取材の賜物だ。
●箱根駅伝は「スポーツ中継のあらゆる基本が詰まっている」
日本テレビにとって、夏は『24時間テレビ』、冬は『箱根駅伝』が、局を挙げた一大イベントだ。毎年中継に携わるスタッフは、『24時間テレビ』を超える約1,000人にもなるといい、部署の垣根を越えて参加。「社内には箱根駅伝が好きな人が多いので、ご協力のお願いをしても話が通りやすいところがあります。出身大学を応援している人もいるし、DNAとして“箱根のことなら何でもやるよ”と言ってくれる方が多いです」といい、制作・技術スタッフは局内だけでは人数が足りないため、系列局からも応援が駆けつける。
アナウンサーは、放送センター、中継車、中継所などでの実況に加え、資料の参照などでサポートする人員も配置され、総勢25人が参加。この時期は高校サッカー選手権も行われているため、アナウンス部はフル回転だ。
そんな『箱根駅伝』には、「スポーツ中継のあらゆる基本が詰まっています」と断言。「主役は選手であること、選手をリスペクトするという精神は、日本テレビでは『箱根駅伝』とプロ野球中継が根っこにありますが、前者は学生さんのスポーツなので、選手のエピソードやプロフィールを紹介するときも、その色がより濃いと思います」と解説する。
また、多くのスポーツが1つのスタジアムやリングで行われる一方、『箱根駅伝』は全長200km超という距離の間に各中継車で想定外の出来事が発生するため、「スポーツ中継の中でも、難易度が高いです」という。日テレのスポーツ中継担当の多くが『箱根駅伝』を経験することで、その精神や技術のノウハウが、野球やサッカー、最近ではラグビーやバスケットボールなど、あらゆるスポーツ中継で生きているのだ。
○タイパと正反対の大会がなぜ人気なのか
12月30日のゴールデン特番のテーマは「なぜ箱根駅伝は、人々を魅了するのか?」だったが、その解として初代中継スタッフは「箱根駅伝はレースと呼ぶには、あまりに人間くさい」と表現。それに加え、広い世代から支持を受ける背景として、望月氏は「今、これだけ“タイパ(タイムパフォーマンス)”と言われる時代なのに、優勝タイムが11時間近くかかるレースなんて、タイパと正反対じゃないですか。それが逆に新鮮な部分もあるのではないかと思います」と分析した。
事前・事後番組を含めると、2日間で約14時間にも及ぶ生放送。それでも、選手たちが走る姿や手に汗握る展開に魅了され、「中継をしているといつも楽しいので、あっという間なんです」と打ち明ける。
中継中は弁当も食べず、アメを舐める程度。トイレに行かずに済むように、本番2日前の大みそかの夜から飲み物もなるべく控えて生放送に臨むため、「復路が終わると指輪もブカブカになりますね」とのことだ。
●望月浩平1980年生まれ、静岡県出身。慶應義塾大学卒業後、03年に日本テレビ放送網にアナウンサーとして入社。05年からスポーツに異動し、スポーツニュースやプロ野球、サッカー、ラグビーなどの中継を担当する。『箱根駅伝』は06年からディレクターを務め、21年から総合プロデューサー。