2023年09月29日11時51分 / 提供:マイナビニュース
●社会性生物のアリで孤立環境の与える影響を調査
産業技術総合研究所(産総研)は9月28日、社会性昆虫であるアリを用いて、社会的な孤立環境が行動異常や個体の寿命短縮を引き起こす仕組みの一端を明らかにしたことを発表した。
同成果は、産総研 生物プロセス研究部門 生物システム研究グループの古藤日子主任研究員、同・油谷幸代研究部門付らに加え、ミツビシタナベファーマアメリカの田村誠ディレクター、スイス・ローザンヌ大学 生物・医学部 生態進化学科のLaurent Keller教授らも参加した国際研究チームによるもの。詳細は、英オンライン科学誌「Nature Communications」に掲載された。
生物の健康と寿命は、周囲の個体とのコミュニケーションをはじめとする社会的環境から大きな影響を受けている。特にヒトやげっ歯類を対象とした研究では、社会的孤立が病気の進行を加速させ、寿命短縮のリスクファクターの1つとなることが解明されている。しかし、ヒトの社会的孤立環境における寿命短縮は、食生活の乱れや通院習慣がおろそかになることによる病気発見の遅れなど、さまざまな外的要因が考えられることから、“社会環境によるもの”と単純化することは難しいという。
一方で、アリを含む他の社会生成物においても社会的孤立が個体の寿命を短縮させることが報告されており、昆虫からヒトまで広く共通して観察される生命現象である可能性が示唆されている。だが、社会的な孤立環境がどのように生物の健康や寿命に影響を及ぼすのかの実態については、不明な点が数多く残されていたとする。
そこで産総研は、生物の社会性と健康・寿命の関わりを明らかにするため、複雑な社会性を備えるアリをモデルとして研究に着手。生殖機能を有する女王アリや雄アリと、生殖機能をもたない労働アリから構成される社会集団(コロニー)で生活するアリは、研究室内で簡易かつ安価に飼育でき、特に労働アリは寿命が約1年であるために一生涯を短期間で追跡できることから、寿命の制御や老化を対象とした今回の研究において優れたモデルになるという。
そのアリを対象とした研究により、古藤主任研究員らは、孤立環境にある労働アリの行動や消化の異常を伴う個体寿命の短縮を報告。その他にも産総研では、アリに関するさまざまな性質を明らかにしてきたとする。そして今回の研究では、これまで蓄積した研究成果に基づき、社会的孤立が個体寿命を短縮させる仕組みの解明に取り組んだとのことだ。
同研究では、オオアリ(Camponotus fellah)において個体識別バーコードを用いた行動解析システムを使用し、1匹で飼育した労働アリ(孤立アリ)と、10匹を同じ箱で飼育した労働アリ(グループアリ)の行動量を比較した。その結果、孤立環境への隔離を開始した1日目から、孤立アリは壁際に長時間滞在し、身を隠すための巣の中で過ごす時間が短くなるという行動変化を示したという。また孤立アリは、グループアリに比べて長い距離を、より速いスピードで移動することも明らかになった。
続いて研究チームは、労働アリを孤立環境あるいはグループ環境においてから24時間の行動を観測した後、それぞれの労働アリの前進からRNAを抽出し、次世代シーケンサーによる網羅的な遺伝子発現解析を実施。孤立アリで発現が上昇する407個の遺伝子と、発言が低下する487個の遺伝子を同定したとする。
そして、発現量が変化した遺伝子がどのような機能を持つのかを調べるため、計894個の遺伝子リストを用いて、遺伝子オントロジーエンリッチメント解析を行ったところ、孤立アリではグループアリに対して酸化還元酵素活性をもち、酸化ストレス応答に関わる遺伝子群の発現が最も優位に変化していたという。
●壁際に長く滞在するアリに見られた特徴とは?
さらに、孤立アリの壁際滞在時間と巣内滞在時間の比を算出し、遺伝子発現変化との相関関係を網羅的に解析した結果、孤立アリの中でも壁際滞在時間が長い個体ほど、酸化ストレス応答に関わる遺伝子群の発現変化が大きいという高い相関関係が明らかになった。具体的には、活性酸素種を産生する酵素のDual Oxidase(Duox)の発現量が、グループアリに比べて孤立アリで優位に高く、また壁際に長く滞在する個体ほど発現量が高かったとする。
加えて孤立アリでは、哺乳動物の肝臓や脂肪組織に匹敵する脂肪体とエノサイト細胞において活性酸素種が多く産生され高い酸化ストレスが検出される一方、脳を含む頭部や消化組織では、活性酸素種の産生量に変化は見られなかったとのこと。脂肪体とエノサイト細胞では、活性酸素種の産生に加えて、酸化ストレス応答の指標とされる脂質過酸化物や、ネクローシスと呼ばれる細胞死が増加していた。
また、脂肪体とエノサイト細胞における活性酸素種の産生量は、孤立アリの壁際滞在時間と有意な相関関係を持つ一方で、移動距離や移動速度とは相関関係を示さなかったという。ちなみにグループアリでは、活性酸素種の産生量がいずれの行動指標とも相関関係を示さなかったことから、孤立アリにおける活性酸素種の産生は孤立環境における行動量増加による結果ではなく、孤立アリの中でも壁際滞在時間が長い行動パターンの変化を示す個体ほど、脂肪体とエノサイト細胞における高い酸化ストレス応答が起こっていることを示したとする。
続いて研究チームは、酸化ストレスを緩和するとして知られる薬剤(抗酸化剤)のメラトニンを孤立アリに投与したとのこと。すると個体時の寿命短縮が緩和されたという。一方でグループアリの場合にはメラトニンを投与しても寿命は変化せず、その他の抗酸化剤を使用した際にも同様の効果が確認された。そして、孤立アリの酸化ストレスに対するメラトニン投与の効果を評価したところ、孤立アリの脂肪体やエノサイト細胞における活性酸素種の産生量が低下することが確認された。さらに孤立アリの壁際に長く滞在する性質についても効果を検証したところ、メラトニンを投与した孤立アリの壁際滞在時間は投与無しの孤立アリに比べて低下し、また投与無しのグループアリと同程度まで回復することを確認したという。
研究チームはこれらの結果から、孤立アリにおいて、脂肪体やエノサイト細胞における酸化ストレスが社会的孤立環境における労働アリの寿命短縮や行動変化の一員であることが明らかになったとする。これまでショウジョウバエやげっ歯類においては、酸化ストレスが行動様式の変化と関わることが報告されており、孤立環境にあるげっ歯類で酸化ストレスが増加することも確認済みである。このことから、酸化ストレスは異なる生物種でも孤立環境にある行動や寿命の変化を引き起こす要因である可能性が示唆された。
研究チームは今後、脂肪体やエノサイト細胞における酸化ストレス応答と行動変化の関係性の解明に取り組むとし、生物種を越えた孤立環境ストレスを引き起こす仕組みの解明が、ヒトを含む他の生物においても社会環境ストレスの緩和や寿命の延伸につながることが期待されるとしている。