2023年05月03日07時00分 / 提供:マイナビニュース
●“あうんの呼吸”で行われていたロケ
4月5日に亡くなった“ムツゴロウ”こと作家の畑正憲さん。その名を一躍とどろかせたのは、フジテレビ系で20年以上にわたって放送されたドキュメンタリー特番『ムツゴロウとゆかいな仲間たち』(1980~2001年)だ。
猛獣に対しても体当たりで戯れてコミュニケーションすることで、多くの人たちに動物への興味や命の平等さを説き、最高世帯視聴率30%(ビデオリサーチ調べ・関東地区)を超える人気シリーズに。この名場面を厳選し、4月8日に放送された追悼特番『ありがとう!ムツゴロウさん』(※TVer・FODで期間限定見逃し配信中)にも大きな反響が集まった。
そこで、番組の立ち上げから担当した元フジテレビプロデューサーの高橋和男氏(※「高」ははしご高)、84年から担当したディレクターの市川雅康氏、93年から担当し現在はフジテレビ国際局局次長職兼国際部長の神野陽子氏による座談会を実施。前編では、ムツゴロウさんとの出会いや、撮影秘話、動物たちとのコミュニケーション術を振り返ってもらった――。
○■機材の進化で動物ドキュメンタリーが実現
番組が立ち上がったきっかけは、電通の中田春男氏が「ユニークな人物がいる」と、ムツゴロウさんを、当時フジテレビの営業部長だった日枝久氏(現・相談役)に紹介したことだった。そこから、ムツゴロウさんと動物たちのふれあいを描くドキュメンタリーが企画されたが、番組がうまくいった要因には、放送機材の進化という面もあったという。
「始まったのは、ドキュメンタリーの撮影がフィルムからENGに代わった時期で、これによって従来の取材方法と大幅に変わりました。VTRを使ったENG撮影で、長時間の連続録画が可能になったことで、撮影対象をじっくり見据え、より自然で、決定的な瞬間を何度も捉えることができました。動物の出産や釣った魚をすぐにしめたり、クマの糞を手で取り払うシーンなど、オンエアするには一部反対意見もありましたが、それらを直視することで、番組の幅も広がっていきました」(高橋氏)
「ドラマ時代に教えてくれた先輩に頼まれて断れなかった」という状況で参加した高橋氏は、それまでムツゴロウさんの本や原作の映画作品を見ておらず、深夜放送の『11PM』(日本テレビ)で「麻雀が強い人っていうので知ってるくらいだった」という認識だったそう。実際に番組制作が始まると、「ちっちゃくて、すごく元気がある人だなと思いました」という一方で、「最初はちょっと怖そうな人だなと思って、ピリピリしてましたね。森の中に行くのに自然なアースカラーの服にしなきゃいけないのに、寒さ対策で黒いのを着たスタッフが『そういうのは目立つからダメだよ』って怒られたのを聞きました」と振り返る。
○■犬が演技しているようにしか見えない「何だこれは!?」
ムツゴロウさんが監督・脚本を手掛けた映画『子猫物語』(86年公開)に助監督して参加したことをきっかけに、『ムツゴロウとゆかいな仲間たち』のチームに入った市川氏。ムツゴロウさんとの出会いはその映画の撮影で、「何だこれは!?」と衝撃を受けたという。
「猫のチャトランと、犬のプー助の冒険物語なんですけど、プー助に奥さんができて、子どもが生まれるシーンがあるんです。そこの台本には『生まれた瞬間に、プー助が外で大喜びする』ってあるんですが、人間の俳優さんなら別ですが、なかなかうまくいかない。そんなとき、ムツさんが『ちょっと休憩ください』とおっしゃって。それからプー助を抱いて、このシーンの意味を話しかけて説得しながら小一時間ぐらい歩いて、『もう大丈夫です』って再開したら、キャッキャキャッキャって喜びを全身で表しながら走り回るシーンが撮れたんですよ。もうプー助が演技しているようにしか見えなくて、すごいなあと思いましたね」(市川氏)
神野氏の『ムツゴロウとゆかいな仲間たち』デビューは、スペインロケでのまさかの“事件”だった。
「事前にみんなから、いかにロケをスムーズに行うかということの心得を聞いて緊張していたんですけど、ロケハンで先にスペインに行ったら、いきなり全財産を強盗にとられたんです。無一文でムツさんたちの本体を迎え入れなきゃいけないことになったんですけど、お会いしたら『そんなのよくあることよ!』って言ってくれて、最初の緊張をほぐしてもらったのを覚えています」(神野氏)
○■スタッフが徹底した“電信柱のようにいる”
いつもの撮影スタイルは、「ムツさんと『今日は何します?』と話して、それを撮りに行くという感じです。ムツさんが一番動物のことを分かっているんだから、そこで私たちから『こうしてください』なんてことは一切言いません。『よーいスタート』もなくて、ムツさんが好きにやっているのを撮るんです」(高橋氏)と、自然な姿を映し出す。
その上で、ムツゴロウさんが動物と戯れるときの撮影において心がけたのは、「邪魔な動きをしない」ということ。
「少しでも無駄な動きや鋭角的な動きをしたり、急に大きな声を出したりすると、動物が恐怖を感じてしまうので、我々は“電信柱のようにいる”という言い方をして、じっと動かずに撮影していました。海外ロケのときは初めてのスタッフだとそれが分からないので、私は必ず最初に注意してました」(高橋氏)
「キーホルダーの金属音とか、自然界にはない音がしてしまうと、動物が反応してしまい、それでムツさんがその時点まで動物と接する中で作ってきた関係が壊れてしまうんです。そういう大事なことを教わりました」(市川氏)
そして、「ムツさんと動物がある程度コミュニケーションが取れるようになったのが分かったら、もうちょっとカメラもそばに寄ろうと、ムツさんからの合図がなくても近づいていったりするんです」(高橋氏)と、ムツゴロウさんと制作チームの“あうんの呼吸”でロケが行われていた。
“電信柱のようにいる”のは、動物から人間に寄ってくる際も同様。「動物王国で金網の入り口から入ろうとすると、大きな犬から小さな犬まで20頭ぐらいワーッと駆け寄ってくるので、最初は怖かったですよ(笑)。“どういうやつなんだ?”って匂いをかごうとしてきても、平気な顔をしてないといけない」(高橋氏)といい、「宅配便の人がやってくると、“新しいやつが来た!”って興味を示して20頭ぐらいが集まってきちゃって、荷物を届けようと母屋に入ることが怖くてできなくて、半べその人もいましたから(笑)」(市川氏)という出来事もあったそうだ。
●アナコンダが絞めかかっても撮影を止めなかった理由
どんな猛獣とも楽しそうに戯れていたムツゴロウさんの姿は、常識では考えられない“衝撃映像”として人々の記憶に刻まれている。なぜ、動物たちはムツゴロウさんに心を許したのか。
「動物は相手に悪意がないと分かると安心するので、ムツさんは必ず目線の高さを一緒にするんです。でっかい動物にも『よーしよしよしよし』って撫(な)でたりするのは、“大丈夫だよ、自分は敵ではないよ”というのを挨拶代わりに伝えて、信頼関係を作ってるんですよ」(高橋氏)
動物に対して大胆に行動しているように見えるが、実は繊細にコミュニケーションを取っていた。
「ポルトガルで大型犬の取材をしたとき、ムツさんがいろんな部位を触りながらその犬種を解説されたんです。そこで、前足の裏を持ち上げて見せてもらったんですけど、その話がすぐ終わったんで、ズームのタイミングが間に合わずにアップの画が撮れてないなと思ったんですね。そこで、『もう1回足の裏を見せてもらうことはできますか?』ってお願いしたら、『いいですよ』とやってくださったんですけど、後で『犬の足の裏は非常に敏感だからね』と言われたんです。あまりにもムツさんが自然とやられてたので、大人しい犬だと思えたしお願いしたんですけど、実はものすごく神経を使うことだったんですよ。それを安易に頼んでしまって、非常に反省しました」(市川氏)
神野氏は「一見危険そうな猛獣ではない場合も、すべて知識をもとに計算した行動なんです」といい、市川氏も「オキシトシンという愛情ホルモンがムツさんの体から出ているので、それで近づくから動物がだんだん緊張を解いて仲良くなるんです。それをあまりにも自然にやられるから、天才だと思われがちですが、実は科学的根拠をもとにした行動なんです。他にも手の甲の汗とか、仲良くなるために『利用できるものは全部利用する』とおっしゃっていましたから」と解説。
時に噛まれることがあっても大きなケガにならないのは、「手を噛まれてすぐ動かしたら肉が裂けるから、歯が当たったら跡が付いてもいいから力を抜くというのを実践してましたね。普通の人は反射的に動かしちゃうから、なかなかできることではないんですけど」(高橋氏)という理由があった。
このように、動物と信頼関係を作ることを知っているからこそ、アナコンダがムツゴロウさんに巻き付いて絞めかかるあの有名なハプニングが起きても、カメラを止めてスタッフが救出に動くことはなく、貴重な映像記録して残されているのだ。
○■ガラパゴス諸島のロケで感じた「次元の違う発想」
動物とのコミュニケーション術を心得たムツゴロウさんとの仕事の中でも、やはり初期の頃は恐怖を感じることがあったという。
「最初にアフリカに行ったとき、チーターを十何頭も保護している施設を取材して、エサの鶏を丸ごと投げるのを撮ったんです。でも、そこで面倒を見てる女性が1mの枝を持ってるだけだったので、『逃げたり、背中を見せたりしちゃダメですよ』と言われたんですけど、あれは本当に怖かったですね。とにかく動いちゃいけないので、中にいるときは『この時間が早く終わってくれ…』ってずっと考えてました。カメラマンはチーターを見ているムツさんの様子を撮りたいから、チーターに背中向けていて『危ないよ!』って思ったり、戻るときも背中を見せないように後ずさりしたんです」(高橋氏)
そんなムツゴロウさんの“考える次元の違い”を、市川氏はガラパゴス諸島でのロケで感じた。
「ガラパゴスにいる固有の動植物たちは島ごとに独自の進化をしていてとても希少なので、触っちゃいけないんです。そこで、“触る動物学”を実践するムツさんがどのようにその魅力を伝えるのかという期待があったんですけど、見事なレポートぶりで驚きました。船で島々を回るんですけど、帰化植物の種などを持ち込まないために、乗降するときに靴の裏を水で洗わなければならない厳しいルールもあるんです。それでも当時、帰化植物や帰化動物の問題が起きていて、セイタカアワダチソウが猛威を振るっていました。普通の考えで言えば固有種が失われる危機だと思うんですけど、そのレポートでムツさんは、全然違うことをおっしゃったんです。『ガラパゴス諸島はものすごく気候変動が激しくて、それに対応するような進化をした動植物だけが生き残ってきたので、今はセイタカアワダチソウが猛威を振るっているけど、また急激な気候変動が起きたら、勝ち残るか分からない。もともといる植物のほうが強いかもしれないから、セイタカアワダチソウがそのまま残るという短いスパンで考えるのは違うんじゃないか』というもので、発想の次元が違うなと思いました」(市川氏)
●“触る動物学”に立ちはだかった「コンプライアンス」の壁
動物とコミュニケーションを取れるムツゴロウさんをしても、時代の変化とともに「コンプライアンス」という壁にぶつかることになる。2001年に『ムツゴロウとゆかいな仲間たち』が終了後、2012年からBSフジで『ムツゴロウのゆかいな動物図鑑』という番組がスタートしたが、この11年の間にテレビ番組の環境は大きく変化していた。
「ホワイトライオンの撮影に行ったときに、生後3カ月までしか戯れちゃいけないと決められたんです。しかも鎖付きじゃなきゃダメとか、飼育担当がそばにいないとダメとか、ムツさんにとっては“くだらん!”条件がいろいろあって。そんな中でロケをしてもムツさんの“触る動物学”の良さが全然出ないから、どんどん猛獣系を紹介することがなくなってしまいました」(神野氏)
そうした条件下でも、ホワイトライオンと戯れたムツゴロウさん。「子どもでも結構激しくて、ムツさんの手を見たら噛み跡がいっぱい付いてるんです。それでも、『噛まれてもグッと手を押し込んだら、ライオンは口をパッと開けて手を離すし、皮膚は破れてないでしょう』って見事に見せてくれました」(市川氏)と、年齢を重ねても変わらぬスタイルでその生態を紹介してくれた。
○■“ゆかいな仲間たち”を身をもって体現
動物ドキュメンタリーは数多あるが、ムツゴロウさんのような独特なキャラクターを介して紹介する番組は、世界を見渡してもなかなかないだろう。また、「植物から昆虫、は虫類、哺乳類に至るまで、ここまで広く興味を持って精通している人もいないんじゃないかと思います」(市川氏)と感じている。
海外ロケは、動物のいる場所だけセッティングし、ムツゴロウさんがどうやって紹介するかは任せていたそうだが、「テレビ的にどう見せたら面白いかというところまで考えてくれていたと思います」(神野氏)という。
その一例は、ガラパゴスでゾウガメを紹介した際のこと。「たまたまゾウガメの大きい甲羅だけがあったんですけど、ムツさんの身体も小さいから、うまい具合にその中に入ったんです(笑)。それでどんな歩き方をするのか、骨格がどうなってるのかというのを説明するんですけど、自ら甲羅の中に入って歩いてそのすごさを伝えるという発想はないですよね」(神野氏)
また、「スウェーデンで、よく映画に出る人気のタレント犬に会いに行ったんですけど、調教師の言う通りにいろんなことができるんですよ。それを『人間と犬の信頼関係があるんですね』っていうだけで終わらせず、ムツさんが犬の真横で一緒に座って、一緒に調教師の指示を受けて、伏せる・座る・転ぶって同じ動作をするんです。『ムツゴロウとゆかいな仲間たち』という番組タイトルですが、その“ゆかい”な部分をどう演出するのかを考えて、それを自然にやってのけてしまうところが、本当にすごいなと思っていました」(同)と回想する。
20年以上にわたる人気シリーズになったのは、「いろんな動物を、ムツさんが『こうやって付き合うと楽しいでしょ?』って一生懸命発信し続けて、それがどんどん受け入れられるようになっていったのを感じます」(高橋氏)と分析した。